ネットが苦手、について考えてみる

2017年5月16日

 先日、ネットがどうも苦手という知人と飲んで、ネットに関して話していたら、なんとなくネットが苦手な人の言っていることが解ったような気がする。
 結局、ネットは顔が見えないから苦手。
 そう言われてみたらそうだ。あいさつひとつとっても、ネット上で見えるのは「おはよう」と言う文字。
 でも対面なら、
にこっと笑って「おはよう」
ぶそっとして「おはよう」
うつむきながら「おはよう」
 おなじ「おはよう」でも、その「おはよう」から伝わる感じというのは、全く違う。
 インターネットも発達して、写真とか音声、動画が扱えるようになったものの、ネット上でコミュニケーションを取ろうと思ったらその手段は文字が主体。
 文字いっても、手書きの手紙ならばその筆跡である程度表情を追えるのだろうから、文字というよりテキストと言うべきか。
 コミュニケーションの手段として、対面から、手紙、電話と時間と場所を越えてやりとりできるようになったのだけれども、その代わりに表情というか、気持ちの伝達を伝えるのに不自由になってきている。
 テキストで、なんとか感情を伝えたいという苦肉の策が、顔文字だったり絵文字だったりするのだろうけど、これがまたテキストといえば小説などの本だったりするので、絵文字などを使うのは邪道という意識もある。
 文章表現において、顔文字などは御法度、できれば「うれしかった」とか「かなしかったです」という言葉も使わずに、喜びや悲しみを伝えられる文章が上等な文章とされる。
 ネット上の文章がそういった、「上等」な文章ばかりならば、ネットに対するアレルギーもずいぶん軽減するんじゃないかなと思うのだが、なかなかそうはいかない。
 ならば、お互い顔を見知った友だちがテキストで書いた「おはよう」ならば、疑似体験ですんなり受け取ってもらえるかなと、対面からの延長としてのSNSや地域ブログを念頭に考えてみたが、今度は書き手の方が複数相手への文章と言うことで構えてしまって、文章自体が無表情になりがち。
 そんな文章は、知っている顔の上に仮面をかぶったように見えて、これまた気持ち悪い。
 そう考えると、テキスト主体で複数相手に感情を共有するコミュニケーションというのはなかなか難しいことで、ネットが苦手という気持ちにも共感できたり。
 でもそれを越えて、ニュートラルなコミュニケーションの手段の一つとしてのネットを活用してもらうには。。。そんなことを日々考えております。